日程:7月6日(土)13:00~
場所:国立交通大學綜合一館631教室
発表テーマ:
①日本語教師のインタビューデータ考察 田中綾子先生
②学生の日本語活動参加を考察する 上條純恵先生
③質的思考ーある西洋哲学者の観点から考える 近藤朋子先生
※※※記録・報告※※※
2013年7月6日(土) 交通大学 13時-15時
参加者 上條、近藤、武田、田中(五十音順)
発表者1 田中先生
「日本語教師のアイデンティティと自己成長について」
【要旨】
佐々木瑞枝(1992)は、「自負をもって、『日本語教師です』と言い切れるようになった」と20年前に記している。しかし、台湾で例えば駐在員の方に「日本人なら日本語を教えるのは簡単だよね」のように言われることが今でもある。台湾人よりもむしろ日本人に言われることが多い。日本語教師はどのように周りに見られているのだろうか。そうした状況を踏まえて、自らどうアイデンティティを持ち自己成長していったらいいのだろうか。
今回の発表は昨年の名古屋での「日本語教師のアイデンティティは、職場における所属意識をもとに形成されるのか?」に続くものであり、問題意識も重なるものである。
「教え方」こそが基準になるのではないかと、いま感じている。さらに仮説として、「学習者分析力が日本語教師の力量を測る」ということを提示したい。学習者分析能力とは、学習者の能力やニーズを引き出せる能力を指す。ニーズを捉えたうえで学生をいい方向に誘導する、いわばコンサルティングできる能力が必要である。
非常勤講師やフリーランスの講師が日本語教師の地位向上のキーパーソンとなるだろう。そのためには、学校教育+民間教育 を図る場も必要だろう。
「自己成長を実践するための(個々の)意識改革が必要である」ということを提言したい。 [武田]
【感想】
活発な意見交換がなされました。個々の意識と技量の向上と、日本語教師全体の意識と技量の向上を便宜上分けて論じたらいいのかどうかという議論もあるかもしれません。学生のニーズのなかにも、「向上心」を巡る議論があるようです。 [武田]
発表者2 近藤先生
「現象学の質的重視への展開—ある西洋哲学者の視点から考える」
【要旨】
西洋哲学において、フッサールの現象学の成立をみるには、やはり一元論や二元論、主体や客体などの基本的な理解が必要になる。そこで、どうしても知っておかなければならないのが、カントやデカルト思想の論理構造である。特にデカルトの「我おもう、ゆえに我あり。」の「我おもう」こそフッサールに引き継がれ、重視された部分である。しかし、フッサールはカントやデカルトのように形而上学的主体になるのを避け、主体の意識と経験を重んじるのである。世界の内にいる知覚者として、その経験的構造に目を向け、経験の質的性質に関心をもつ。つまり、現象学は現象性の質的構造と可能性を明らかにしようとする。こうして現実の事象を重視し、反省を繰り返しながら、その事象そのものにかえる現象学へと展開した。 [近藤]
【感想】
なかなかすぐに理解できるほど簡単な話ではありませんでした。しかし、質的研究を続けていくうえで、たんに分析のステップをなぞるだけでなく、こうした理論的背景を知っていくことは大切でしょう。なにかやさしめの現象学に関する本を逆に思想専門ではない出席者が自分の理解のもとにレポートし、近藤先生にコメントしていただく形もいいかもしれません。私でよければまずやってみようと思っています。
[武田]
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